紅 茶 専 科

中国から始まるお茶の歴史

2018/08/14
 
この記事を書いている人 - WRITER -
にゃん
紅茶好きの30代主婦。
目覚めの一杯からおやすみ前の一杯まで、紅茶に始まり紅茶に終わる生活をしています。
”お紅茶”なんて上品なものとは程遠い、水分補給を兼ねたガブ飲み派。
主人も実家の家族もみーんなコーヒー派のため、集まったときは一人だけ紅茶と言うメンドクサイことになる(笑)

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今でこそ世界中で楽しまれている紅茶ですが、その元々のお茶の起源は中国になります。
中世ヨーロッパでは中国のお茶こそが正統と考えられ、中国で作られた茶葉は神聖視されていました。
長い歴史を誇り、様々な文化を持つ中国。ヨーロッパの人々にとってまさに憧れの地でした。

 

世界で初めてお茶を飲んだ「神農」

中国の古い神話において、「神農」と呼ばれる人物が世界で初めてお茶を飲んだ人とされています。
神農がある日木の下で水を沸かしていると、その木の葉が数枚散り、沸かしていたお湯の中に落ちたのだそうです。神農がそれをそのまま飲んだところ、なんとも言えず良い香りがしたというのがお茶伝説の始まりです。
時にして紀元前2737年頃、この時お湯の中に落ちた葉をつけていた木こそが野生のお茶だったと言われています。
神農と言う人は、伝説上では農業と医薬の祖と言われている人です。茶聖・陸羽がその著書『茶経』でも紹介しています。
そのお湯を沸かしていたというのも、当時は生水は身体に毒だと言われており、飲むためには沸かさなければいけないと考えられていたためにしていた行為でした。
初めて飲んだお茶を咄嗟に仙薬だと考え、人々のために毒性のある植物を見つけようとして様々な野草を食べてみては、その毒消しにお茶を飲んでいたというエピソードもあるそうです。

その後の歴史

はっきりとした史実では、最初茶葉は茹でて食べていたそうですが、時を経るにつれ、茶葉を乾燥させた後に粉にしてお湯の中に入れて飲むようになったということがわかっています。
その後、明王朝になってから、沸かしたお湯で抽出する方法がとられるようになったと言われています。
また、お茶を飲む習慣というものは、今でいう中国の四川省辺りが起源と言われています。
そこから現在のお茶の文化が始まり、世界中へと広がっていったそうです。

 

お茶の語源

中国からお茶の文化が世界中へ広まっていったため、お茶は世界のどこでも似たような名前で呼ばれています。
中国では広東の「CHA(チャ)」、福建の「TAY(テ)」の2通りで、これが広まっていきました。
これらの呼び方は伝わったルートによって変わっていったそうです。

広東語に近い「チャ」と呼ぶ国々

・インド…「CHA」  ・チベット…「JA」  ・日本…「CHA」
・ペルシャ…「CHA」 ・トルコ…「CHAV」  ・アラビア…「CHAI」
・ロシア…「CHAI」  など

広東語の「チャ」に近い呼び方をされている国々では、歴史的にお茶との関わりが深く、昔は陸路を使ってお茶が輸送されていました。
しかし、日本へは陸路でお茶が伝わっただけではなく海路からも伝わっているため、「テ」の変化形と考えられている「茶」の読み方の一つ「サ」があると言われています。

福建語に近い「テ」と呼ぶ国々

・インドネシア…「TE」  ・オランダ…「THEE」  ・イギリス…「TEA」
・フランス…「THE」   ・イタリア…「TE」   ・ハンガリー…「TE」
・フィンランド…「TEE」  ・スリランカ…「THEA」  など

福建語の「テ」に近い呼び方をされている国々は、インドネシア経由の海路を使って輸送されていたとい言われています。

 

紅茶の誕生

お茶は中国から喜望峰を回ってヨーロッパへ運ばれていきました。この時、赤道付近の猛暑の中を航海していったため、船倉の中のお茶が発酵してしまって偶然的に紅茶が生まれたという伝説があります。
一般にも広く知られている話なので、聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
しかし、実際はそうではなく、この話は単なる伝説であって真実ではないと言われています。
その当時中国から運ばれた緑茶は釜炒りのお茶で、茶葉の酸化発酵が完全にストップされていたものでした。
船倉がいくら暑くても、お茶が変質するはずはなかったのだそうです。
紅茶の誕生したのは、16世紀頃に中国で製茶方法が様々に試みられていた最中でした。
発酵度合いの高い烏龍茶系の武夷茶がヨーロッパへ緑茶とともに送られた時、緑茶のグリーンティーに対して武夷茶は色が濃かったため、ブラックティーと呼ばれるようになりました。これが紅茶の原点となったというのが現在の定説です。
しかし、この伝説が必ずしも否定しうるものであるとは限りません。
当時はお茶が摘まれてヨーロッパへと運ばれていくのには相当な時間を要した時代です。摘まれた当初は新茶でも、辿り着いたころにはその品質が随分と変わっていてもおかしくはありません。ましてや、今日のように冷蔵保存や密封保存が出来ていたわけではないので、茶葉は湿気を吸い放題です。
途中で発酵してしまっている可能性も十分にありますし、茶葉の変質に気付いた商人が何かしら手を加えてしまっていたことも考えられます。
その結果、今日の紅茶の基礎となるものが生まれたのかもしれません。

ヨーロッパで需要が高まるブラックティー

武夷茶(=ブラックティー)は緑茶に比べて硬い茎や葉が多く混じっていたので、下級のお茶として扱われていました。
しかし、安価で手に入れやすかったこと、緑茶に比べて香りも強く、砂糖やミルクを入れて飲むヨーロッパ風の飲み方に合っていたため、その需要は増していきました。
中国でもイギリスへ輸出向けに烏龍茶系の高級茶を生産し始め、それをさらに強く発酵させた「工夫紅茶」の生産が始まりました。
こうして紅茶は徐々にその紅茶としての存在を得るようになっていったのです。

 

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紅茶好きの30代主婦。
目覚めの一杯からおやすみ前の一杯まで、紅茶に始まり紅茶に終わる生活をしています。
”お紅茶”なんて上品なものとは程遠い、水分補給を兼ねたガブ飲み派。
主人も実家の家族もみーんなコーヒー派のため、集まったときは一人だけ紅茶と言うメンドクサイことになる(笑)

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