紅 茶 専 科

日本で試みられた紅茶栽培

2020/05/21
 
この記事を書いている人 - WRITER -
にゃん
紅茶好きの30代主婦。
目覚めの一杯からおやすみ前の一杯まで、紅茶に始まり紅茶に終わる生活をしています。
”お紅茶”なんて上品なものとは程遠い、水分補給を兼ねたガブ飲み派。
主人も実家の家族もみーんなコーヒー派のため、集まったときは一人だけ紅茶と言うメンドクサイことになる(笑)

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日本では緑茶栽培が盛んですが、同じ樹からできるはずなのに何故か紅茶栽培は緑茶ほど盛んではありません。
それは、土壌と水分、気温などの条件が紅茶に適していないためです。
ダージリンやウバといった紅茶は、熱帯の乾燥した高山地方で栽培が盛んに行われています。それと比較すると、日本の多湿な気候は、葉を発酵させて紅茶にした時に放つ香りを殺してしまっているのです。
そのまま蒸して緑茶にするにはとても良いのですが、発酵までを考えると適していないなんて、なんだかちょっと残念ですよね。

明治政府による紅茶栽培の試み

それでも、明治時代には日本での紅茶栽培が試みられていたことがありました。
1874年(明治7年)には、大分と熊本に「紅茶伝習所」というものが設けられ、製茶技術を学ぶために海外から職人を招いて講師にしていました。
また、東京、静岡、鹿児島にも伝習所が開かれ、英国式の紅茶の生産システムを学ばせようと、インドに留学生を派遣したこともあります。
1886年(明治19年)頃には東京の街中に「紅緑茶屋」という茶店も開業し、民間人の中にも紅茶に挑戦しようとする人が現れます。
この店では三重県で栽培された葉から作られた紅茶が販売されており、缶入り1ポンド、35銭で売られていたそうです。これが日本における初めての国産紅茶の販売記録と言われています。
しかし、間もなくイギリスから「帝国紅茶」が日本に入ってきてしまい、国産の紅茶との味や香りの著しい差にショックを受け、国産の紅茶生産は次第に勢いを失くして行ってしまいました。

国産紅茶の復活

1971年に輸入が自由化され、海外から紅茶が輸入されるようになると、国産の紅茶はほとんどがその姿を消してしまいました。
そんな中でも国産にこだわった紅茶づくりを始めた茶園も少なからず存在していました。

たとえば、島根県の出雲地方の緑茶用茶葉を使用した出雲国産紅茶は、国産紅茶の復活を願って1985年から販売を始めました。
国産の紅茶は2000年頃から再び注目を浴びるようになり、2010年には約250ほどの国産紅茶の生産者がいるようにまでになりました。
以来、日本で作られる紅茶は海外からも注目されるようになり、国産紅茶は別名「和紅茶」(あるいは「地紅茶」)とも呼ばれるようになります。これらの名称がつく紅茶は、すべて「日本で育てられた茶を摘み取り、日本で加工されてできた紅茶」であることが前提となっています。

元々緑茶や抹茶の生産で注目されていた日本、その丁寧な生産・製造方法が紅茶づくりにも活かされており、同時に生まれる品質の高さが海外においても高い評価へと繋がっています。

日本各地で栽培・製造されている国産紅茶

現在、日本でも、緑茶ほどではないですが、紅茶の栽培も盛んになってきており、各地で様々な紅茶が製造されています。
元は日本茶(緑茶)として用いるために栽培された茶樹を紅茶に応用したものもあり、日本茶と同じブランド名が冠された紅茶も多数存在しています。

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たとえば、静岡県で盛んに栽培されている「べにふうき」。
こちらも一般的には緑茶として飲まれるものですが、紅茶としても製造されています。
同じ品種で宮崎県や奈良県でも紅茶として製造されており、日本のお茶の栽培・製造がどんどん拡がりを見せていっています。

このほかにも、京都南山城、鹿児島知覧、屋久島、佐賀嬉野など様々な地域で紅茶が栽培・製造されています。

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紅茶好きの30代主婦。
目覚めの一杯からおやすみ前の一杯まで、紅茶に始まり紅茶に終わる生活をしています。
”お紅茶”なんて上品なものとは程遠い、水分補給を兼ねたガブ飲み派。
主人も実家の家族もみーんなコーヒー派のため、集まったときは一人だけ紅茶と言うメンドクサイことになる(笑)

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