春の桜特集2017-桜霞む物語

さくら
古来より愛されてきた日本を代表する花、桜。
時には恋心を代弁し、時には武士の精神性を説く。
古典文学の中でも近現代の文学の中でも、桜は特別な存在として描かれてきました。
そんな桜にまつわるお話を、少しだけご紹介します。

 

古典における「花」は「梅」か「桜」か

奈良や平安時代の古典文学でよく目にする「花」の表記。これは一般的には「」を指すと言われています。
当時の文化は中国から入ってきたものがほとんどで、梅の花も中国から日本へ伝えられたものでした。その梅の花の美しさを愛で、多くの詩歌が詠まれてきました。そのため、古典の世界では花は梅の花を意味することがほとんどになります。ではいつから「花」=「桜」と考えられるようになったのでしょうか。
これについては実はよく判っていないというのが現状です。一応、平安時代中にいつの間にか梅から桜へシフトしていったとは考えられているようです。
その根拠となるのが歌集『古今集』で、この中に詠まれている「花」は「桜」を指すと解釈されています。とは言っても、梅同様に桜も昔から愛でられてきた花だったので、もちろん歌の中では桜も多く詠まれています。美しい花を愛でる心に、梅も桜も関係はなかったのでしょう。ちなみに桜を詠んだ最古の歌は、允恭天皇が衣通郎姫を思って詠んだ「花はぐし桜の愛で同愛でば早く愛でず我が愛づる子ら」という歌で、『日本書紀』に収められています。

 

桜の花に込められた思い
桜の花のイメージと言えば、一斉に咲き誇ってザッと潔く散るというところから武士道の精神性に例えられることが多いですよね。
でもそれはあくまでも武士が台頭していた時代におけるイメージで、古代ではそういうイメージではありませんでした。『古事記』や『日本書紀』に登場する「木花之佐久夜毘売」(コノハナサクヤビメ)や「木花開耶姫」(コノハナサクヤヒメ)は、木の花(桜の花)が咲くように美しい女性と言う意味を持っています。
この「コノハナサクヤヒメ」は日本の初代天皇である神武天皇の祖母に当たり、日本の系図に深い関わりを持つと考えられています。
また、コノハナサクヤヒメの父親オオヤマツミは、「コノハンサクヤヒメを妻とすれば、木の花(桜の花)が咲くように繁栄するだろう」と言ってもいます。つまり、古代では桜は繁栄の象徴とされていたと考えられるのです。
潔い生き方を表す武士の精神性と繁栄の象徴、相反するようなイメージを桜は持っているということになります。同じ花でも時代によって捉えられ方が違うという面白味が感じられますね。

 

桜を詠った和歌―百人一首より
私は小さい頃から百人一首(競技かるた)をやっていました。最近はとんとやらなくなりましたが、それでも高校生くらいまではやっていましたね。
百人一首の中にも桜を詠んだ和歌はあり、有名なものは古典の教科書なんかでも例題として挙げられることがあります。
いにしへの奈良のみやこの八重桜けふ九重ににほひぬるかな(伊勢大輔)
意味:昔をしのぶ奈良の都の八重桜が、平安の宮中で確かに美しく咲き匂うことだ。
ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(紀友則)
意味:こんなに陽の光がのどかに射している春の日に、どうして桜の花は落ち着かなげに散っているのだろうか。
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに(小野小町)
意味:桜の花の色はすっかりと色あせてしまった。私の美しかった姿もすっかり衰えてしまった。

古典の教科書などでよく出てくるのがこの3点。意味合いからというよりは、歴史的仮名遣いや掛詞といった修辞句の例として出されています。

先二つの歌は桜の花について詠っていますが、「いにしへの~」は桜の花に栄華や繁栄といった意味合いも込められています。先述の通り、桜は繁栄を象徴する花であったと考えられていたので、平城京と平安京の栄華のたとえに用いられたのでしょうね。
三つ目の小野小町の歌は特に有名です。彼女は当時絶世の美女と称えられていましたが、この歌ではその美しかった容姿も年とともに衰えていった嘆きが詠われています。
女性の美しさを花にたとえたというのは、こちらも先述したとおり「コノハナサクヤヒメ」の伝説に基づくところがあるのでしょう。

この他にもまだまだ桜を詠んだ歌はたくさんあります。
桜の咲く様や散る様を恋心に例えたものなど、一言に桜と言ってもそこには様々な意味合いが込められています。

 

「ソメイヨシノ」は江戸時代以降の桜
桜の品種を思い浮かべる時、ぱっと思い浮かぶのが「ソメイヨシノ(染井吉野)」です。
5枚の花弁が整った形で花開き、満開になると白く色づくのが特徴です。元々は日本原産種のエドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれたと考えられており、日本産の桜としても人気を呼んでいます。
しかしソメイヨシノの桜は実は江戸時代中・後期~明治時代に生まれた割と新しい品種の桜。江戸末期から明治初期に江戸の染井村に集落をつくっていた造園師や植木職人たちによって育成されたと考えられており、明治以降に圧倒的に多く植えられ、開花すると華やかな姿が人気を博したたため、今日のように広く知られるようになりました。
「ヨシノ=吉野」という名前は「大和の吉野山」(奈良県山岳部)にちなんでいます。日本全土に広く栽培されているので、気象庁による「桜前線」(桜の開花予想)や標本木に使われるのもこのソメイヨシノです。
その人気は世界中でも高く、ヨーロッパやアメリカにも多くのソメイヨシノが寄贈されています。ちなみに、古典の世界でよく目にする「吉野の桜」というのは本来「山桜」という品種を指すと言われています。この桜を原種として品種改良された桜も多いです。

 

世界の花見

満開の桜の下で食事をしたりお酒を飲んだりする花見。日本の伝統的な行事としてもずっと受け継がれてきています。
では世界ではお花見のような行事は行われているのでしょうか。日本のような飲めや歌えやというような花見スタイルとは異なりますが、世界にも桜の花を愛でるお祭りが催されています。
アメリカのニューヨークのブルックリン植物園では毎年4月下旬ころに桜祭りが開催され、和太鼓や歌舞伎といった日本の伝統芸能のパフォーマンスを見ることが出来るそうです。
また、ワシントンのポトマック河畔では全米桜祭りが開催されます。この他、カナダのバンクーバーでは日本食を堪能できるイベント「サクラナイト」や、日本文化に触れられる「Sakura Days ジャパンフェア」といったイベントが催されています。
韓国の慶州では桜のシーズンになると「桜マラソン&ウォーク」というイベントが開催されます。このようなイベントが催されてなくても、桜の名所とされる場所が世界にはたくさんあります。
たとえばドイツのボンには日本の八重桜が街の至る所に植えられており、特に旧市街地のヘーアシュトラーセにある桜並木は、桜の木がまるでトンネルのように咲き乱れており、人気が高いスポットとなっています。
フランスのパリ郊外にあるソー公園にはベルサイユ宮殿の庭園を手掛けた造園家が設計した庭園があり、その中に白い桜が咲くエリアと桃色の桜が咲くエリアがあって、どちらか好きな桜の下で花見をするという人もいるのだとか。
もしかしたらこの桜の下で紅茶を楽しんでいる人もいるかもしれませんね。

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