紅茶を受け皿で飲む習慣
その昔、紅茶はカップから飲むのではなく、その受け皿(ソーサー)に移し、受け皿から飲んでいたと言われています。それも20世紀初頭までそのスタイルが続いていたというのですから、つい最近までの習慣でした。
受け皿と言っても今日のような底の浅いものではなく、そこそこ深さのあるプレート状であったと言われています。
また、18世紀のフランスでは、同じようにコーヒーを受け皿に移して飲んでいたという記録があるそうです。
どうしてそのような飲み方をしていたのかについては諸説ありますが、正確な理由は明らかになっていません。
猫舌のイギリス人にとって飲みやすい方法?
紅茶をカップからソーサーに移して飲むという習慣は、一説ではイギリス人(特に貴族階級の人々)は猫舌だから、熱い紅茶を冷ますためにソーサーに移し替えたといわれています。
確かにカップに入れたままの紅茶より、ソーサーに移して表面積を広くして紅茶を空気に触れさせておけば早く冷めそうではありますよね。
しかし、この説は今日では否定されています。
たとえ紅茶が熱くとも、カップのまま冷めるまで待てばいいので、冷やすためにソーサーに移し替える必要はありませんし、そもそも喫茶という行為はゆっくりとした時間を楽しむものなので、そんなに急いで紅茶を冷ます必要性もありません。
愉しいおしゃべりをしながら、紅茶の香りや色が変わっていく様をゆっくりと味わうのが一般的でした。
感謝とお礼の表現方法
1701年にオランダで上映された「ティーにいかれた御婦人たち」という喜劇の中で、ティーパーティに招かれた女性達がカップから受け皿へとお茶を移し、音を立てながら受け皿からお茶を飲んでいるシーンがあるそうです。
これは素晴らしいお茶を提供してくれた主人に対する感謝とお礼の表現方法だったと言われています。
現代ではお茶を音を立てて飲むのはマナー違反ですが、それが逆に正しい礼儀だった時代もあるということが窺える面白い話です。
受け皿から飲んで顰蹙を買ったジョージ・オーウェル 紅茶好きとして知られる文学者のジョージ・オーウェル。紅茶好きが高じてエッセイも執筆しており、その中では「イギリスは紅茶の文明によって支えられている」とまで言い切っています。 好んで飲んでいたのはかなり濃いめの紅茶であり、「1杯の濃い紅茶は20杯の薄い紅茶に勝る」とも言っていたそうです。そんな彼が第二次世界大戦中にイギリス国営放送(BBC)に勤めていた頃、オフィスで紅茶を飲むときは受け皿に紅茶を注いで飲んでいたため、仲間から顰蹙を買っていたと言われています。 先述の通り、紅茶を受け皿に移して飲む習慣は20世紀初頭までの話であり、第二次世界大戦中にはその習慣はなくなり、むしろ下品なマナーとして広く知られていました。では何故彼はこの飲み方をしていたのでしょうか。一説では、ジョージはイギリスの伝統を愛しながらも上品ぶったことがキライで、反骨精神のある男性だったと言われています。 そのため、受け皿から紅茶を飲むことで、BBCのエリート集団の体制的な姿勢を批判していたのではないかとも言われています。 しかし、イギリスの伝統を愛し、エッセイを著す程の紅茶好きだったのなら、伝統としてのその飲み方を受け継ごうとしていたとも考えられます。 どんな理由にせよ、それは彼なりの何かしらの紅茶へのこだわりがあってのことだったのは間違いないのではないでしょうか。 |
実際の用途から考えられる理由
カップからソーサーへ紅茶を移し替えて飲んでいた理由について、有力な解答が上がっています。
それは、実際の用途から考えられる理由です。
これについて言及しているのは、『ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑』を著した和田泰志氏で、和田氏は著書の中で次のように解答しています。
理由①:指の熱さとカップの持ちにくさ |
紅茶がソーサーで飲まれていた頃、ティーカップはまだ今日のような把手のついたものではなく、把手のないボール状のカップ「ティー・ボール」という茶碗のようなカップが使われていた。そのため、紅茶をカップに注ぐと、人々は熱くなったカップに直に触れなければいけなかった。 そこで人々はソーサーに目をつけ、ソーサーなら触れる部位の関係でボール(カップ)より熱くなく扱いやすいと考え、ソーサーから紅茶を飲むようになった。 |
理由②:ティー・ボールは紅茶液を作る道具として使用 |
紅茶が流行していた頃、茶器と言うのは茶葉同様に高級品であり、一般の人々はティーセット一式をそろえて持つことは非常に難しい時代であり、カップとソーサーは持っていても、ティーポットまではなかなか揃えられるものではなかった。 そこで人々は、ティー・ボールに直接茶葉を入れて紅茶液を作り、それを茶葉と分離して飲むためにソーサーに紅茶液だけを移した。 イギリスの陶磁器研究家バーソード氏は、ティー・ボールに茶葉を入れ湯をさした後、ソーサーをかぶせてフタ代わりにし、紅茶液が出来たらソーサーにその上澄みだけを移して飲んでいたと言及している。また、ポットを持てる裕福層の人々の場合はどうしていたのかというと、ポット→ボール→ソーサーという経路で紅茶を飲んでいた。 わざわざティー・ボールを経由したのも、ティー・ボールの中で砂糖やミルクを混ぜるため。 つまり、ポットとティー・ボールは調理器具であり、ソーサーは飲用器として使用していた。 これを裏付ける証拠として、ソーサーにスプーンの傷がついていないということが挙げられる。 紅茶にミルクや砂糖を溶かしてスプーンでかき混ぜたとき、ティー・ボールにはそのかき混ぜ傷があり、ソーサーには見当たらない。 |
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ティーカップが現在とは違う把手のない茶碗のような形であったことは事実であり、人々が熱い紅茶を飲むのに苦労していたというのも想像がつきます。
熱いボールを無理して持って高価な食器を不意に落として割ってしまうことを考えれば、ボールほど熱くはないソーサーで紅茶を飲んだ方が合理的と言えば合理的です。
また、ティー・ボールを調理道具のように使っていたというのも成程と頷けます。
が、ポット→ボール→ソーサーという経路は流石にやり過ぎなような気もします。上記のような理由だと、ポットにはお湯しか入っていないことになりますしね(^^;)
合理性を求めた結果ソーサーから飲むことになったという理由もあるにはあると思いますが、習慣的なものも理由の一つであったと考えられます。
当時のヨーロッパの食器と言えばそのほとんどが皿状のもので、カップのようなものはなかったと言われています。
そのため、カップから飲むということが容易に受け入れられず、慣れた皿状のソーサーから飲むようにしていました。しかしやはりそれでは飲みにくいため、次第にカップから直接飲む→持つと熱いから持ち手(把手)をつけて飲みやすくした、という流れが自然に思われます。
どのような理由にせよ、紅茶をより美味しく飲むために人々は茶器を生み出し、改良を重ね、喫茶のスタイルを確立していきました。
その過程で茶器のデザインや絵付けも趣向が凝らされるようになり、芸術文化が急速に発展していきます。
喫茶と言う一娯楽が、社会に大きな動きをもたらしたことに変わりはないのです。