紅 茶 専 科

ヨーロッパへのお茶の伝播

2018/08/14
 
この記事を書いている人 - WRITER -
紅茶好きの30代主婦。
目覚めの一杯からおやすみ前の一杯まで、紅茶に始まり紅茶に終わる生活をしています。
”お紅茶”なんて上品なものとは程遠い、水分補給を兼ねたガブ飲み派。
主人も実家の家族もみーんなコーヒー派のため、集まったときは一人だけ紅茶と言うメンドクサイことになる(笑)

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ヨーロッパにお茶が伝わったのは、16世紀に入ってからと言われています。
最初はポルトガル人が1516年に中国を訪れ、その後日本に到着し、お茶の文化に接しました。ポルトガルの宣教師ガスペル・ダ・クルスの記録にお茶の記述が見られるそうです。
その後、中国のお茶や日本のお茶についての情報がヨーロッパへと広まっていき、お茶の文化や礼儀作法は東洋の文化の象徴として受け入れられていきました。

 

茶貿易の始まりはポルトガルとオランダから

17世紀に入り、ヨーロッパの人々がお茶に関心を示すようになると、ポルトガルとオランダの商人たちはお茶の貿易を始めるようになります。
最初に中国や日本の地を踏んだのはポルトガル人ですが、彼らの主な関心は香辛料などであり、お茶の買い付けまでには至っていなかったそうです。
お茶を買い付けて普及させたのは、後続のオランダ人だったと言われています。
1610年、オランダ人はマカオと平戸から緑茶を買い付け、これを当時自国の領地であったジャワのバンタムという所へ送り、そこからオランダへと運んでいきました。
オランダに入ってきたお茶は貴族や上流階級の人々の間で人気となり、たちまちに広がっていきます。
同時に、日本の茶道や茶碗、中国茶器などの文化も一緒に伝わったと言います。
1690年にオランダはジャワに茶園を開き、容易にお茶を本国に持ち込めるようにし、更にお茶はオランダ国内で広まっていきました。
この少し前くらいから、かつては海洋貿易で一番の力を持っていたポルトガルが後退し始め、それに代わってオランダの東インド会社が東洋諸国との独占貿易を始めていました。
オランダはフランスなどの近隣諸国へもお茶を売るようになっており、少しずつヨーロッパ全土でお茶が普及し始めていきました。

 

イギリス紅茶の始まりは「コーヒーハウス」から

紅茶が流通する前、イギリスでは主に「コーヒーハウス」という場所でコーヒーが飲まれていました。
コーヒーハウスは上流階級の人々が情報交換をするいわばクラブ的な場であり、外国の珍しい物産の話や輸入話が一番に入るところでもありました。
17世紀から18世紀半ばにかけてコーヒーハウスは最盛期を迎えており、ロンドンには3000件以上ものコーヒーハウスが軒を連ねていたと言われています。
1657年、イギリス ロンドンのコーヒーハウス「ギャラウェイ」で、初めて紅茶が売り出されました。
最初はその効能の高さを売りにしており、「頭痛、結石、水腫、壊血病、記憶喪失、腹痛、下痢、恐ろしい夢、肺病、整腸」などに効く東洋の神秘薬として紹介されていました。
実際にこれはギャラウェイの宣伝ポスターに書かれていることで、その実物は大英博物館に所蔵されているそうです。
ロンドンの貴族や医師、商人、上流階級の紳士たちは、茶葉そのものを見るためやお茶の味を見るためにギャラウェイに殺到しました。
ちなみに当時のコーヒーハウスは女人禁制だったため、紅茶文化が女性に広まるのはもう少し後のこととなります。

 

二つの「東インド会社」

東洋諸国との貿易を行っていた「東インド会社」。名前こそ有名ですが、実はオランダとイギリスの二国に存在していたのをご存知でしょうか。
今でこそ紅茶と言えばイギリスというイメージが定着していますが、その背景にはこの二国の貿易競争があったのです。

・オランダ東インド会社
1602年設立。それまでのポルトガル経由ではなく直接貿易をしようと各地にできていた貿易会社を統合。
本拠地はジャワのバタビア。

・イギリス東インド会社
1600年設立。本拠地はインド。

二国の争いとイギリスの進出

二国の東インド会社は各本拠地を中心にスパイス貿易を行っていましたが、産地のモルッカ諸島の領有権をめぐって、1623年にオランダがイギリス商人を襲う「アンボン事件」が発生。
以後、イギリスはインド本土を拠点として交易に専念しますが、中国へと進出していき、1644年には厦門に商館を開き、中国との直接貿易へ乗り出すことになます。
また、ポルトガル王の娘のキャサリン・ブラガンザが1662年にイギリスのチャールズ二世と結婚したのを契機に、イギリスはオランダのライバルのポルトガルとの結束を図ります。
ポルトガルは同時にイギリスへインドの領地ボンベイを贈り、その後ボンベイはイギリス東インド会社の本拠地、アヘンの輸出地へとなっていきます。
1666年にはマカオにイギリス東インド会社の商館が置かれ、イギリスの貿易勢力はさらに拡大していきます。
1669年、イギリス政府はオランダからの買い付けルートを禁止し、代わりにインドネシアのバンダムで中国船から茶を買ったり、ポルトガルから購入するようになりました。
このようにしてイギリスが中国との直接貿易を本格的に行うようになっていき、茶貿易の勢力はオランダからイギリスへと移っていきました。

 

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紅茶好きの30代主婦。
目覚めの一杯からおやすみ前の一杯まで、紅茶に始まり紅茶に終わる生活をしています。
”お紅茶”なんて上品なものとは程遠い、水分補給を兼ねたガブ飲み派。
主人も実家の家族もみーんなコーヒー派のため、集まったときは一人だけ紅茶と言うメンドクサイことになる(笑)

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